[所有の作法]Vol.2 養老朝枝 前編 "茶と香がひらく教養 "

[所有の作法]Vol.2 養老朝枝 前編 "茶と香がひらく教養 "

LEGASEEは、工芸の価値は作品だけで完結しないと考えています。
誰が選び、どう暮らしに迎え、どんな時間を重ねたのか——その「所有の仕方」もまた、作品の一部になる。
この連載「所有の作法」では、LEGASEE代表の増田が聞き手となり、持ち主の視点から工芸の魅力をひもといていきます。

 

所有の作法 Vol.2 【前編】

養老朝枝 ──茶と香がひらく教養

 

ゲスト:養老 朝枝(茶道表千家教授/香道御家流師範) 

聞き手・文:増田 将星(LEGASEE代表)

 

工芸の価値は、作品だけで完結するものではない。誰がそれを選び、どんな暮らしに迎え入れ、どのような時間を重ねたのか。持ち主の眼差しと日々の営みが、作品にもうひとつの物語を与えていく。

連載「所有の作法」では、工芸を暮らしの中で生きたものとして愛する人々を訪ね、その“持ち方”に宿る哲学を聞いていく。

第二回のゲストは、茶道表千家教授であり、香道御家流師範の養老朝枝先生。茶と香を軸に、国内外で茶会・香会を重ねてきた先生のもとには、平安から室町へと伝わった名香、異国で出会った工芸、そして徳川家康ゆかりの瓦までが集う。いずれも「飾って終えるためのコレクション」ではない。いまこの瞬間の席をひらくために、手に取り、使い、育ててきた“道具”である。

 

──名香は、見せすぎない

 

取材のはじまりに、養老先生がそっと差し出したのは、錫の筒に大切に収められた小さな香木だった。

「こちらは黄麗(こうり)と呼ばれる名香です。『佳人』、つまり麗しき人をたとえにした香で、中国ではカナリア、日本では鶯に喩えられてきました。」

黄麗。名が示すとおり香りには艶があるが、扱いは驚くほど慎ましい。

「名香は、むやみに人目に触れさせるものではありません。見せるときほど、節度が要ります。」

 

香木は燃えやすい。だからこそ錫の筒に入れて守り、箱書きや由緒書きとともに、来歴ごと受け継ぐ。筒の外側には、水戸徳川家、出雲松江の松平家(雲州)など旧家の名が見え、宮家ゆかりの記載もあるという。 

 

 

──一木四銘が残す来歴の厚み 

 

香木の価値を決めるのは、香りの良し悪しだけではない。誰の手を経て、どんな礼法のもとで扱われ、どのような物語のなかで守られてきたのか。養老先生の語りは、香りを“来歴の芸”へと立ち上げていく。

「かつて長崎に名香が渡来したと聞けば、諸大名が使者を走らせました。最初に辿り着いたのが細川家、次が伊達家、三番目が前田家。伊達家の家老は、手に入れられなかったことを恥じて腹を切ったとも伝わります。」

その出来事を受け、細川家は「香木ごときで命を惜しむとは」として香木を四等分し、一片を御所へ納め、残りを細川家・伊達家・前田家が分け持ったという。

同じ木なのに、銘が四つある。御所では「藤袴」、細川家では「白菊」、前田家では「初音」、伊達家では「柴舟」。この逸話は「一木四銘」と呼ばれ、江戸期にもっとも名高い香木譚のひとつとして語り継がれてきた。

 

 

香りは大筋では同じでも、天然の香木は木肌の密度や脂の乗り方が部位ごとに異なる。記録には、脂の濃いところ、白木に近いところといった差異に応じて「桜」「青山」など別名が添えられていることもあるという。

さらに養老先生は、別の香木の裏書に残っていた逸話も教えてくれた。公家の家の姫君が貧しく、嫁入り道具が整えられない。そこで「これだけは」と名香を携えさせ、香の作法や由緒をしたためた文を添えて嫁がせた。香木は、家の事情や人の祈りまで抱えて次代へ渡っていく。

 

 

──茶も香も花も歌も、ひとつになって教養になる

 

いまは「茶は茶」「香は香」と、それぞれが別の世界として語られがちだ。しかし養老先生は、かつての文化のあり方をまっすぐに指差す。

「茶も香も花も歌も。本来は互いに響き合っていました。ひとつだけでは、教養は立ち上がらないのです。」

茶会の流れを思い浮かべると、その言葉の意味がよくわかる。まず炭を組み、湯を沸かす。湯が上がるまでの間に懐石をいただき、酒が出れば、季節に寄せて一句、あるいは連歌を継いでいく。書きつけが一枚の紙に収まる頃、湯が沸き、「それでは」と濃茶をいただく。茶の湯とは、食と詩と香りと時間を編み上げる“場の技術”でもある。

そして「香」は、稽古事の最後に置かれてきたという。

「香道は、いろいろな素養が身についていないと難しいんです。お手前には帛紗さばきがありますし、答えを書くときに歌を添える作法もある。お茶や和歌の経験がないと、香の世界はなかなか開きません。」


──趣旨と季節が、道具を決める

 

席をひらくとき、最初に立てるのは「何のための会か」という主題だという。年の祝いか、節目を寿ぐ会か、手に入ったばかりの道具を披露する席か。趣旨が定まると、道具の輪郭が見えてくる。

「たとえば二月のように冷え込む時期なら、湯が冷めにくい口の締まった釜を選びます。反対に、湯気をたっぷり立てて室内の気配を温めたいなら、口の広い釜にする。道具は、客の身体感覚を想像するためのものです。」

寒さに合わせて釜を選ぶのは、機能のためだけではない。相手の体温、滞在の時間、席の空気までを思い描き、場を整える。その想像力が、もてなしの基礎になる。 

 

 

──世界観は、取り合わせで立ち上がる

 

養老先生は、お茶を「トータルコーディネート」だと捉えている。器や掛物だけでなく、香り、言葉、客の気分までを含めて席を設計する。

「ただ古い道具を並べるだけでは、席になりません。家元のお墨付きの道具を“そのまま”置くのでもなく、何を伝えたい席なのか、どういう世界を立ち上げたいのか。取り合わせで物語をつくっていくのが大切なんです。」

一つ一つの道具が良いかどうかだけではなく、並べたときに立ち上がる“関係”を見る。その視点があるからこそ、養老先生の席は静かに統一され、しかも窮屈にならない。

もちろん、そうした取り合わせは最初からできるものではない。けれど席を重ね、違いを見て、時に失敗しながら、少しずつ「自分の感覚」が育っていく。そのプロセスそのものが、養老先生にとっての稽古でもある。

 


──つくり手を見る眼

 

道具を選ぶ軸として、養老先生がまず挙げたのが「つくり手」だった。

「千家十職といって、千家のお出入りの作家さんがいらっしゃいますよね。あとは、その時代をきちんと背負って頑張っている方。ご縁のある方のものは、なるべく大事に見ます。」

 

意外だったのは、骨董も多い一方で、現代の作品も積極的に取り入れていることだ。

「新しいものばかりでも、どこか息が詰まる。骨董だけでも、やはり飽きがくる。だから私は、骨董の中に現代の気配をほんの少し差し込みます。すると席が生きるんです。」

同じ作家のなかで「これだ」となる瞬間は、理屈だけでは決まらない。養老先生が最後に頼るのは、手と時間の感覚だ。

「掌(たなごころ)にすっと収まるかどうか。もう一つは、次の五回、十回の席のテーマの中で“使いたい”と思えるかどうか。先に席が見えると、道具も選びやすいですね。」

 

 

──穴のあいたガラスも、茶席で生き返る

 

棚の一角に、中央に小さな穴が穿たれた不思議な造形がある。養老先生はそれを「天竜硝子」と呼んだ。

中国では硝子の文化が薄かった時代、乾隆帝の宮廷が権力を背景に「硝子のような焼き物」を作らせたという。エジプトには古くからガラスがあったが、中国で“硝子の気配”を焼き物で実現しようとした試みは、当時としては野心的だった。王が首飾りのように身につけた品もあり、穴はその名残だと伝わる。

しかし、穴がある以上、使いにくい。そこで養老先生は紐を通して文鎮のように重しに使う。『茶会記の抑えにしてはどうか』と先生のアイデアだ。

“使えない”を“使える”に変える。その発想こそ、養老先生の言う創意工夫であり、世界観づくりの一部なのだろう。

 

 

同じ棚には、陶芸家の細川護光さんの茶盌もある。細川さんの個展で出会い、養老先生はどうしても手放せなかった一碗に、銘の由来を書いてもらったという。

その銘は「馥郁」。梅の蕾がふっくらと膨らみ、春を迎える気配が内側で育っていく。そんな“ふくよかさ”を写した言葉だ。細川さんはその意を汲み取り、由来をしたためてくれた。

養老先生は、流行の空気だけで道具を選ぶことに慎重だ。席を立ち上げるには、好きと信じられる軸が要る。

「“かっこいいから”だけで集めても、道具はなかなか自分の血肉になりません。小さくてもいいから、好きと信じられる基準を持って暮らすほうが、ずっと愉しいと思います。」


 

後編では、養老先生の「創意工夫」がさらに具体へ。道具を前にした時の学び方、道具屋との付き合い方、最初の一歩としての茶盌選び、そして異国の工芸を席に取り入れる感覚や、道具の“寿命”を受け止める思想へ。トルコの器、仏壇の見立て、南部鉄器の急須、瓦とつくばい。暮らしのなかの実装として語られていきます。

 

 

Profile

【養老朝枝  ようろう・ともえ】

茶道表千家教授、香道御家流師範。認定NPO法人スペシャルオリンピックス日本・神奈川 理事。東洋大学トップリーダー連携教育支援プログラム 講師。国内のみならず海外(トルコ、ロシア、フランス、タヒチ等)で茶会・香会を開催。解剖学者・養老孟司氏の伴侶として、同氏とともに建長寺山内の「虫塚」建立に尽力するなど、いのちへの祈りをかたちにする文化活動に関わる。

 

 

Photography: Azzy Jelly

Interview & Text: Shosei Masuda